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徳島池田簡易裁判所 昭和45年(ろ)6号 判決 1972年1月08日

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実の要旨は、

「被告人は自動車運転の業務に従事する者であるが、昭和四五年一月一日軽四輪自動車を運転して香川県善通寺市から徳島県三好郡に帰る途中、同日午前三時四〇分ごろ、香川県三豊郡財田町大字財田上六七四四番地付近国道上左側部分の中央を時速約四〇キロメートルで南進中、同所において、反対方向から進行してきた山崎洋二(当一八年)運転の軽四輪自動車を前方約六〇メートルの地点に発見したが、同車はセンターラインを越えて、高速度で自車の進路上に進入してきたのであるから、同車との正面衝突を避けるため、直ちに急停車の措置をとるとゝもに、道路左側端へ寄る等して事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り徐々に減速しながら道路中央線上に進出した過失により同車が約二〇メートル前方に接近してはじめて急停車の措置をとるとともに、ハンドルを左ほ切ろうとしたが間にあわず、自車右前部を同車の右側中央部に衝突させ、その衝撃により、同車に同乗の川沢君代(当二一年)に対し右側頭骨陥没骨折等の傷害により同所で即死させ、右山崎洋二に対し脳挫傷等の傷害を与え、同日午前四時五五分同県仲多度郡琴平町二八三番地岩崎病院において死亡するに至らせ、同車に同乗の浅津進(当二二年)に対し治療約三ケ月を要する第六頸椎骨折等の傷害を、自車に同乗の近藤薫(当五四年)に対し入院加療約三ケ月半を要する頭蓋内出血等の傷害を、同長谷川真澄(当三二年)に対し入院加療二日間を要する顔面複数切創等の傷害を、同長谷川マツ子(当三一年)に対し治療約三週間を要する顔面挫傷等の傷害をそれぞれ負わせたものである」というにある。

よつて按ずるに、

二、昭和四五年一月一日午前三時四〇分ごろ、香川県三豊郡財田町大字財田上六、七四四番地寺崎彦三郎方前国道上で、自動車運転者である被告人の運転する軽四輪自動車((助手席に長谷川真澄(当三二年)を、後部座席右側(即ち運転席の後ろ)に長谷川マツ子(当三一年)を、同左側に近藤薫(当五四年)をそれぞれ同乗))(以下単に被告車という)の右前部が山崎洋二(当一八年高校生)の運転する軽四輪自動車((助手席に川沢君代(当二一年)を、後部座席右側寄りに浅津進(当二二年)をそれぞれ同乗))(以下単に山崎車という)の上部(運転席と助手席の上部)と衝突し、右川沢が右側頭骨開放性陥没骨折兼脳底骨折顔面挫創兼左膝関節・下腿挫創(複数切創)・右膝関節部挫創左足関節部切創の傷害により即死し、右山崎が脳挫傷・頭頂部挫創・前頭骨陥没骨折・右前膊部切創の傷害により、同日午前四時五五分前記岩崎病院において死亡し、右浅津が治療約三ケ月を要する前頭部裂創兼挫傷兼脳震蕩症・頸部捻挫兼第六頸椎骨折・左肩甲骨々折兼鎖骨々折・左肘関節部挫傷・腰部挫創兼左手背挫創の負傷をし、右近藤薫が治療約三ケ月を要する頭蓋内出血兼前頭部挫傷・顔面複数切創・両肩関節部挫傷・右焼骨下端部骨折の負傷をし、右長谷川真澄が治療約一〇日間を要する顔面複数切創兼両膝関節部挫傷の負傷をし、右長谷川マツ子が治療約三週間を要する顔面挫傷兼複数切創・右前腕・手掌複数切創・右上口唇粘膜部挫創の負傷をし、被告車と山崎車との前記衝突によつて、右各傷害が惹起され、そのために前記二名死亡、四名負傷した事実は<証拠略>により認められる。

従つて、被告車と本件死亡・傷害との間の因果関係を否定することはできないので、この点に関する弁護人の主張は失当である。そこで、本件死亡・傷害の各事故の発生について、被告人に公訴事実記載の急停車措置、道路左側端避譲等の注意義務が要求され、かつ被告人にその違反があつたかどうかを検討する。

三、<証拠略>および前掲各証拠を綜合すると、つぎの事実が認定できる。

(一)  本件事故発生場所の状況

1  被告車と山崎車の衝突地点は、歩車道の区別のない南北に走る国道第三二号線(高松・高知線)上の前記寺崎彦三郎方前路上で、かつ中央線よりわずかに被告車の進路である道路の左側部分の路上である。

2  右衝突地点付近は、被告車の進行方向からみて右にゆるやかに彎曲している(曲線半径九五メートル)、平たんな道路で、当時路面は乾燥状態であり、右国道の巾員は八、一〇メートルあり、セメントで完全舗装されており(司法警察員作成の実況見分調書ではアスファルト舗装とがあるが明白な誤り)、右巾員中左側端には〇、五三メートルの、右側端には〇、六〇メートルのそれぞれ白実線(巾〇、一五メートル)により区画された部分があり、道路中央には白点線(事件当時)が引かれていて、この中央白点線の中心点より左側巾員(被告車進路部分)は三、八〇メートル、右側巾員は四、三〇メートルである。また、右八、一〇メートルの巾員の両側にそれぞれ巾〇、三〇メートルの測溝がある。右いずれの白線にも夜光塗料がぬられている。

3  右国道の東側には数軒の家屋が建ち並んでいて、一番南には大西利平方家屋が国道に面して西向きに建てられており、右家屋の南端は右衝突地点より南へ約三二メートルの地点に当り、これよりさらに南へ約数メートルの空間をおいて、ガードレールが右国道の両側に南方(徳島方面)へむけ約百数十メートルに亘つて設置されている。

4  右国道の西側にも数軒の人家があるが、右衝突地点付近の西側には柿・桃の木の他未落葉の樹木が数本繁り、その南(前記大西利平方斜め前)には民家一軒(同家の南側には水島高速フェリーの宣伝カンバンがかゝつている)が右国道に面して東向きに建てられており、これよりさらに南へ約数メートルの空間をおいて前記ガードレールに至る。

5  しかして、後記認定の被告人の山崎車発見地点より約四メートル北方で、かつ東側溝から一、二〇メートルの地点から南方の国道中央線上までの見通しは約七三、三〇メートル先まで十分可能であるが、これ以上の見通しは困難である。

6  右国道は、高松市から徳島県三好郡池田町を経て高知市へ通ずる主要幹線自動車道であり、交通量は南行、北行ともに極めて多い。

7  本件事故発生当時、本件現場より北方約九〇メートルの地点に建設省の「前方にカーブあり」を示す警戒標識があり、そのさらに北方約二〇メートルの地点に公安委員会設置の追越し禁止標識があつた。また右現場より南方約一二〇メートルの地点に右と同じ追越し禁止標識が設置されていた。しかし、本件現場付近において車両に対する右公安委員会による規制以外に何らの規制(例えば、速度制限、徐行など)もなされていない。

8  本件事故発生時は真夜中であつたが、前記寺崎家北隣家屋の北西隅軒下に設置されていた黄色の回転灯は消えていて、現場付近はかなり暗い状態であつた。

(被告人の検察官に対する供述調書には右回転灯がついていた旨記載されているが、本件事故直後に現場へ行つた証人竹内公平に対する当裁判所の尋問調書には消えていた旨の記載に対比して、右被告人の供述は真実と認めがたい。)

(二)  本件事故の発生状況

1  被告人は、スズキ軽四輪自動車(登録番号八徳え一八七九号、車高一、五メートル、車巾一、三メートル、車長三、〇メートル)に前記二の三名を同乗させて運転し、時速約四〇キロメートルで右国道上を北から南進し本件現場にさしかゝつて、山崎車を発見した(被告人は、司法警察員や検察官の取調べや当公判廷において、被告人が山崎車を発見したときにおける自車の速度は時速約四〇キロメートルであつた旨一貫して供述しており、右供述は、長谷川真澄の司法警察員に対する供述調書の記載によつても裏付けされているところであつて、措信することができる。)

2  次に被告人が山崎車を発見した時点における自車の位置は前記三(一)1の衝突地点より北方へ約二八、〇〇メートル前後の地点と、その車体右側を国道東側端から約一、二〇メートル前後の地点との交点に当り、被告人は右車体の左側から国道中心点まで約一、三〇メートル前後の距離を保ちつゝ、前記速度のまゝ約一四、〇〇メートル進行した。

3、一方、山崎洋二は、ホンダ軽四輪自動車(登録番号八高え六二二一号、車高一、五メートル、車巾一、三メートル、車長三、〇メートル)に前記二の二名を同乗させて運転して、本件現場付近にさしかゝり、その速度は少なくとも約六〇キロメートル以上であつたと推認しうる。(司法警察員作成の実況見分調書(第一回)記載のスリップ痕、もつともこのスリップ痕は山崎車の右車輪によつて一条印されており、スリップ痕が一条であつたのは前記速度のある車両を山崎が急にハンドルを左に切つたこと、後部座席にいた浅津が車内中心点よりやゝ右側に寄つていたことによるものと認められ、スリップ痕の長さは8.3メートルで、これをもとに科学警察研究所機械研究室鈴木勇作成の「アスファルト道路(乾湿)における制動距離と制動時間一覧表」によつて逆算すると、時速約四〇キロメートル弱に過ぎないけれども、本件現場は前記三(一)2認定のとおり乾燥されたコンクリート舗装であるから路面の摩擦係数はアスファルトのそれより0.1高くなり、従つて、時速は右逆算速度より少く早くなることの他、浅津進の司法巡査に対する供述調書謄本の記載、右実況見分調書記載の右スリップ痕の途切れた地点から衝突地点までの9.8メートルの距離を横倒したまゝ進行したこと、約一、七メートルのサッカ痕、約二〇メートルに亘つて散乱していたガラス破片、車両の破損状態、同乗者の重量など併せ考えて認定しうる。)

4  しかして、被告人が山崎車を発見したときの山崎車の位置は前記三(一)1の衝突地点より南方へ約四五メートル前後の地点で、その車体中心部を国道中央の白線地点においていた。すると、被告人が山崎車を発見した時点における両車間の距離はこれに右2の距離を加えた距離に等しく、即ち約七三メートル前後であそたことになる(これは前掲各証拠の他、前記三(一)5の見通し可能距離ともほぼ一致すること、右一覧表によれば、時速四〇キロメートルの自動車の秒速は、一一、一一メートルであり、また時速六〇キロメートルのそれは秒速一六、六七メートルであり、そうすると、二秒間のそれぞれの前進距離は、被告車が二二、二二メートル、山崎車が三三、三四メートルとなり、被告車が後記6で時速二〇キロメートルで進行し、山崎車は後記7後段の時速四〇キロメートルで、それぞれさらに一秒間進行したとすれば、その前進距離は、被告車が五、五六メートル、山崎車が一一、一一メートルとなり、結局右三秒間に、被告車は22,22+5,56=27,78m、山崎車は33,34+11,11=44,45mそれぞれが前進し、その距離は27,78+44,45=72,23mとなり右両車間のそれともほぼ一致すことなどにより十分首肯しうる。)

5  被告人が右2の約一四メートル南進した時点での山崎車の位置は前記大西利平方前の路上で山崎車よりみて道路右側部分の中央地点で、かつ右衝突地点より南方へ約二四メートル前後寄つた地点であつて、山崎車はハンドルを左に切りながら制動措置をとつたが、その車体はいまだ直進状態であり、従つて前照灯は直進状態を示していた、即ち山崎車の前照灯は被告車の正面を照射する状態であつた。(被告車の右一四メートルの進行の所要時間は約一、三秒に当り、これを山崎車にあてはめてこれに見合つた所要距離を換算すると約二一メートルになること、被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書によれば正面衝突の危険を感じたとあること、前記実況見分調書記載の山崎車のスリップ痕の状態など併せ考えて認定しうる。)すると、この地点での両車間の距離は約三八メートル前後となる。

6  被告人は、右2の約一四メートル南進した地点で、右5の地点に山崎車を認め、山崎車との正面衝突の危険を感じたので、やゝ減速しながら、かつハンドルを右に(中央白線寄り)切りながら約八、三メートル前後進行して自車の右車輪を中央白線上に進め、この地点での被告車の時速は約二〇キロメートル近くに減速されていた(これは、被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書、前記実況見分調書の被告人の指示、同調書記載の被告車のスリップ痕の長さから逆算などして認定でき、これと対比するに、当裁判所の検証調書の被告人の指示は措信できない。)

7  被告人が前記八、五メートル前後南進した時点での山崎車の位置は右衝突地点より南方へ約一一メートル前後寄つた地点(さらに約一、三〇メートル進行するとスリップ痕が切れた地点に当る)で、かつ山崎車の右車輪が道路中央白線より約〇、七〇メートル強被告車の進路上である道路左側寄りの地点にあつて、山崎車は右に横転寸前の状態であり、さらに制動をかけハンドルを左に切つた。そうすると、この地点での両車間の距離は約一六、五メートル前後となる。この地点からの山崎車のスリップ痕はより一層中央白線の方向に向つて印されている。(前記実況見分調書、証人浅津進の当公判廷における供述、被告人の前記各供述調書などから認定できる。)この地点での山崎車の時速は前掲の全証拠により約四〇キロメートル位までに減速されていたものと推認できる。

8  被告人は、山崎車が右7のように被告人からみて道路右側部分に進出するのを認めたので、道路左側部分にもどすべくハンドルを左に切りつゝ急制動の措置を講じ約五、五メートル進行して前記衝突地点に至つた。被告車のスリップ痕は中央白線に対し、かなり左方向の角度に印されている。(前記実況見分調書第二見取図の記載および添付の写真4・9・10、被告人の前記各供述調書などにより認定しうる。)

9  山崎車は右7の地点から約1.30メートル進行した地点でその車体右側を下にして横転しながら約九、七〇メートル進行して前記衝突地点に至つた。

10  しかして、被告人は右7の措置をとる山崎車をその前方約一六、五〇メートル前後の地点に認めて、右8の措置をとつたが及ばず、右衝突地点で自車の右前部が山崎車の上部に衝突して停車した。

11  被告人は、従前の運転経験からして本件カーブおよび黄色の回転灯の存在を予め認識していた。

12  事件当時、被告車も山崎車もともに前照灯を下向きにしていた。(山崎車は前照灯を上向きにしておればもつと早く本件カーブに気付いていたはずである。)

13  被告人は四輪の普通免許を昭和四二年九月二一日取得し、本件事故までに既に約二年六ケ月の運転経験を経ていたのに反し、山崎洋二は四輪の普通免許取得のため自動車学校へ通学中の身分で、勿論無免許運転者で、運転技術は未熟であつた。真夜中ではあつたが右運転の両名ともさして疲労していたとは認められない。

14  被告車、山崎車双方とも、制動措置、前照灯、警音器などその車体に性能、構造上の欠陥は何ら認められない。

15  本件現場付近では、被告車の前にも、山崎車の前にも、ともに先行車は認められない。

四、本件公訴事実は、被告人の過失としてセンターラインを越えて自車の進路上に進入してきた場合における急停車義務・道路左側端避譲義務を怠つたことを指摘する。

被告人は、前記三(二)小認定のとおり、約七三メートル前方の地点に山崎車を発見したが、この地点で前記三(一)認定のカーブを曲り切れないで、被告人の進路である道路の左側部分に、違法にも進出してくる車両のあることまで予想して、急停車し、かつ道路左側端への避譲義務を被告人に課すことはできない。殊に被告人は、法定速度を下まわる約四〇キロメートルの速度で、かつ交通法規を遵守して左側端寄りに慎重な運転をしていたものであるから被告人に右義務を課するのは酷である。仮に一歩譲つて、本件カーブでは、違法な進出車のあることまでも予想すべきであり、或は予想できたとしても、自動車運転者としては直ちに道路左側部分に復して違法な進行を解消するであろうことを期待して運転すれば足りるのであつて、免許もなく、かつ運転未熟のために違法のまゝ直進する車両のあることまで予想して運転する義務はないものというべきである。

けだし、本件現場は、前記三(一)認定の道路であるから、道路交通法一七条四項の各号に規定するいずれの場合にも該当せず、従つて、同法条三項の規定の適用をみる場合に該当すると解するところ、左側通行の原則は、自動車運転者にとつて最も初歩的、基本的原則であるから、被告人が山崎車はその進路である道路の左側部分を進行し、或は、違法に道路の右側部分に進出しても直ちに道路の左側部分に復するものと予想し、かつ信じても当然だからである。

また、本件の如きカーブ状況の道路においては、その都度自動車運転者に対し、道路左端に寄り、かつ急停車義務を命ずることは、高速度交通機関である自動車の効用・機能を喪失させることゝなり妥当でないからである。

すすんで、前記三(二)5認定のとおり、両車間の距離が約三八メートルに接近した地点での被告人の右義務を検討するに、この地点での被告車の速度、山崎車の速度、ならびに、山崎車が被告人の進路である道路の左側部分にあつて直進状態にあつたので、同車の進行による前照灯の照射(なお、本件被告車、山崎車の前照灯は、保安基準によれば、下向きに照射した場合でも前方約三〇メートの距離の障害物を確認できる性能を要求されているが、右両車の前照灯は右基準にはずれておらず、当時現場付近はかなり暗い状態であつた。)などからみて、この地点では、山崎車が、被告人の運転する車両の進路である道路の左側部分を通り容易に右側に転じないような特殊の場合に当り被告人としては、従前のまゝの進行を続ければ、もはや両車両の正面衝突は不可避の状態にあつたと認めるのが相当であるから、この地点においても被告人に右義務を課することはできないばかりか、被告人が、この地点でとつた前記三(二)6の措置は、右正面衝突回避措置として適切な措置であつたというべきであり、その後前記三(二)7認定のとおり、山崎車は、その進路である道路の左側部分に復すべくハンドルをさらに左に切つたものであり(両車間の距離約16.5メードルの地点)、山崎車のこの措置は、被告人にとつて、全く予想に反する行動であつたけれども、さらに被告人は正面衝突を回避すべく、左転把の措置をとつたのであるが、道路中央線寄りにおける山崎車の横転(前記三(二)9)という全く予期せざる事態によつて本件事故が惹起されるに至つたものであつて、かような異常、特異事態を予想することは不可能であるから、被告人に、右義務を課することは酷であり、結局、被告人には、その措置について責むべき点は何ら認めらない。

なお、付言すれば、前記三(二)78各認定のスリップ痕殊にその方向を仔細に検討し、両車両の車巾をも併せ考えると、もし山崎車の右横転という事態がなければ、両車は、かろうじて離合しえて、本件衝突を回避しえたものと認めるのが相当である。(証人川東修に対する当裁判所の尋問調書にはこれを否定する供述記載があるが、司法警察員作成の実況見分調書(第一回)添付の見取図(第二)記載のスリップ痕および写真24678910などと対比すると、右川東の供述は措信できない。)

なお、検察官の主張はないが、前記三(一)(二)各認定の事実関係のもとにおいては、被告人に前方注視義務・徐行義務(道交法四二条)、警笛吹鳴義務(同法五四条一項)などの注意義務違反もないものと思料される。

よつて、本件公訴事実は犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条により、無罪の言渡をする。

(山本慎太郎)

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